2012年07月02日

2012/7/1 第15回名古屋点訳ネットワーク総会


雨の中、たくさんの点訳ボランティアの方にお集まりいただくことができました。
ご家族の介護などで、点訳を続けられない方、自身が参加しているサークルだけで手いっぱいで、ネットワークの活動までは協力できないという人が増えていて、存続の危惧もありましたが、何とか次年度につなげることができ、ホッとしています。
一つのサークルではできない講師を招いての講習会や、点訳ボランティア同士、視覚障害者を交えての交流会など今後もできればと思います。

研修には、愛知県立岡崎盲学校の先生をお招きし、震災ボランティア体験や中学部生徒による被災者応援ソング作りのお話をお伺いしました。
まず、盲学校の生徒が私のときと比べ四分の一に減少しているのに対し、先生の数は生徒よりも多くなり、手厚くなっていると感じました。
岡崎盲学校は名古屋盲学校よりも通学エリアが広いようで、小学部の児童と重複障害者以外は殆ど寮に入っているそうです。
それで思い当たることがありました。鍼灸の勉強会に参加して、岡崎盲学校を卒業した人たちの絆が強いということ。名古屋盲学校の生徒は、卒業してしまうと同級生同士もあまり連絡がありません。別に避けているわけではないんですけどね。
私が盲学校に通学していたころは、部活を始めるとスクールバスに間に合わなくなるので独りで家から公共交通機関を乗り継いで通学するのがごく当たり前になっていました。先輩に誘われてお茶したりラーメンを食べて帰る楽しみもありました。駅界隈の雑踏を歩くだけでもワクワクしたことを覚えています。
岡崎盲学校の卒業生は、独りで出かける機会が学生のころから少なかったのか、独りで出歩ける人が少ないようです。「盲学校を卒業し、出かける機会がますます少なくなり、独りでは出られなくなってしまった」という話を聞いたこともあります。

先生が被災地でボランティアをなさっているとき、柱一本で支えられて立っている家があったそうです。もしそんな柱に視覚障害者が歩いていてぶつかったら・・・・・それがきっかけで倒壊してしまうかもしれない。
ホランティアをされていて、被災者に声をかけるのにも気を遣われたそうです。
4月1日の勉強会のとき、講師から「まず声を出してほしい」と言われましたが、ボランティアでも気を遣わなければならないのに、弱者である視覚障害者が声を出すのはやっぱり難しいだろうなと、改めて思いました。

中学部の生徒から、「被災地に対して応援ソングを届けたい」という声が出たそうです。募金するにしても、自分たちで働いたお金ではない。自分たちでできるのは歌で応援することではないか、と。実際に被災地でボランティアをなさった先生にはとても気が重い話で「文化祭で発表するなら、岡崎の四季を歌にしてもいいんじゃない」と提案されたそうですが、生徒たちの思いはとても強かったそうです。
普段は宿題をなかなかやってこない生徒たちが、思いを詩にしてきたり、十分間の放課もあちこちの教室から応援ソングを練習する声が聞こえてきたそうです。
文化祭では、近くの中学校の吹奏楽部の生徒たちもゲスト演奏に来てくれて、応援ソングを一緒に歌ってくれて、とても盛り上がったそうです。
応援ソングは、東北地区の盲学校や仮設住宅にCDにして送ったそうです。
最初は「曲が暗い」「軽々しく歌うもんじゃない」というバッシングもあったそうですが、文化祭で歌った後は「いい曲だね」という声に変わったそうです。
とてもよいお話でした。
posted by 平瀬 徹 at 13:38| Comment(0) | 福祉・ボランティア
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