2009年07月29日

私と信仰(2)

私が物心ついた頃には、もう両親は辯天さまにお参りしていました。
私の楽しみとしては、お参りについて行くと、「いい子にしてたね」とお供えを余分にもらえたり、出かけたついでにデパートの屋上で乗り物に乗せてもらえたり、お昼はお子様ランチを食べることができたことでした。
大阪、茨木の本部までお参りに行くときは、往復高速バスのときもありましたし、帰りは急行電車や新幹線というときもありました。乗り物に揺られることも好きでしたし、高速バスの休憩時にノシイカや蜜柑を買ってもらって食べたり、新幹線のビュッフェでチキンライスを食べられたこと(一・二度しかなかったと思う)も感激的でした。
そんな私も、高校生のころは殆どお参りに行きませんでした。「祈っているだけでいいんだろうか。もっと自分のため、周りの視覚障害者のために身近で取り組めることをしたほうがいいんじゃないか」と思い、点訳ボランティア活動に没頭しました。
ところが、平成9年頃だと思うのですが、辯天宗の宗務総長さまが「御教えを社会に向けよう」とおっしゃって、辯天宗が社会奉仕活動をするようになりました。「目が見えない私が奉仕に参加しても、他の信者さんの足手まといになるだけでは」と思ったのですが「草刈機で刈り残した草を手で取ってほしい」とか「あなたが参道に立ってお参り下さる皆さんにご挨拶していただくだけで、障害者も頑張ってるんだということを知っていただけて、励みにもなるんですよ」と誘っていただいていました。辯天宗の中で、私の居場所ができた、と感激しました。
いろんな障害者を呼んで介助の勉強をしようという企画が持ち上がりました。この講座「かじってみよう講座」という何とも失礼な名前の講座でした。あいにく「視覚障害体験の日」は大雨。部屋の中だけアイマスクして歩いていただこうと思っていたのですが、受講者全員分の雨合羽が用意してあって「さあ行きましょう」ということに。
その後、障害者の富士登山の介助を「辯天宗青年隊の方々にお願いしました。(雨の中介助てきたんだから大丈夫!)私は、体力がない人を振り分けるための練習会を企画したのですが「たとえ1メートルでもいい、全員を登れる所まで登らせてあげたい」という声にビックリ!普通のボランティアと信仰がある人たちとの違いに感激しました。
「かじってみよう講座」や富士登山が、今の私のガイドヘルプ講座につながっています。

患者さんとお話していて、ある年齢に達すると急に信心深くなられる方がいらっしゃいます。お参りのツアーもあるし、友達と出かけられるということもあるのでしょう。でも、やっぱり体力が落ちて心配になる前から、真心の貯金をしておいたほうが、神様にもいざというときに助けていただけるのではと思うのです。
小児鍼に来ていた男の子が「家族揃ってどこかに行くっていうと、お墓参りかお寺参りしかない」とつまらなさそうに話してくれたことがありました。「でも、帰りは必ず外食なんだよ」とうれしそうでした。

最近、親を簡単に殺す事件が報道されるようになりました。
幼いころの私のように、食べ物に釣られてヒョコヒョコついてくる子もきっといると思います。
核家族化で、家族の絆が薄らいできています。
神仏や両親を大切にする心は、子供のころから身につけたほうがいいと思います。
posted by 平瀬 徹 at 14:15| Comment(1) | 日記
この記事へのコメント
「かじってみよう」なんて、ユニークで、ちょっとやってみようかなんて気になってしまうような、名前ですね。
Posted by いちじく at 2009年07月31日 16:26
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